戦国武将の官位ランキング|最も位が高かったのは誰か
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この記事で分かること
- 最も官位が高かった戦国武将は誰か
- 武将の官位はどのくらいの高さが普通だったのか
- 「官位ランキング」はそもそも作れるのか

1.最も官位が高かった戦国武将は誰か
戦国武将の肩書きには、よく官位が添えられています。上杉謙信は弾正少弼、藤堂高虎は和泉守、井伊直政は兵部大輔。
官位には正一位から少初位下まで、厳密な序列があります。朝廷が定めた等級なので、誰が上で誰が下かは、本来はっきり決まっているはずです。
では、最も位が高かった武将は誰なのでしょうか。
Wikipedia に載っている戦国武将の情報を集めて、順位をつけてみることにしました。結論から言うと、途中でこの指標は壊れます。
2.5,553人分の官位を集める
使うのは Wikipedia の「Category:戦国武将」と、そのサブカテゴリの「Category:戦国大名」です。各ページの基礎情報欄に「官位」という項目があります。
Category:戦国武将 - Wikipedia戦国時代の武将を集めたカテゴリ。各記事には官位・氏族・生没年などをまとめた基礎情報の欄があります。ja.wikipedia.orgja.wikipedia.org書き方はまちまちです。
青木一重 従五位下民部少輔
青木一矩 紀伊守、従五位下侍従
藍房清 出雲守
青木重直 刑部卿法印「従五位下」のような位階と、「出雲守」のような官職名が混ざっています。ひとまず位階だけを取り出して並べてみます。
5,553人のうち、官位の記載があったのは2,993人(54%)でした。
3.官位ランキング
位階が読み取れた776人を、序列の順に並べます。
| 位階 | 人数 | 主な武将 |
|---|---|---|
| 正一位 | 5人 | 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、徳川秀忠、毛利元就 |
| 従一位 | 1人 | 前田利家 |
| 正二位 | 5人 | 織田信雄、豊臣秀次、細川藤孝、前田利長、結城秀康 |
| 従二位 | 8人 | 上杉謙信、伊達政宗、毛利輝元、豊臣秀長 ほか |
| 正三位 | 11人 | 島津義弘、長宗我部元親、黒田長政、小早川隆景 ほか |
| 従三位 | 46人 | 武田信玄、柴田勝家、加藤清正、藤堂高虎 ほか |
| 従四位下 | 125人 | — |
| 従五位下 | 522人 | — |
最高位は正一位で、到達したのは5人。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・徳川秀忠・毛利元就です。
三英傑が並ぶのは順当として、毛利元就が同じ位置にいるのが少し意外かもしれません。
そして分布を見ると、はっきりしたピラミッドになっています。
※ 記事内で説明した集計をもとに作成した図です。
従五位下だけで522人。位階が判明した人の67%を占めます。
従五位下は、朝廷から正式に貴族として認められる最低の位です。大名になればここに叙されるのが標準で、ここから上へ進めたのはごく一部でした。四位は146人、三位以上となると76人しかいません。
4.ところが、1位には裏がある
ランキングは作れました。ですが、1位の5人を調べていて引っかかることがありました。
5人とも、生きている間に正一位だったわけではありません。
正一位は死後に贈られる位、いわゆる贈位でした。しかも、いつ贈られたかを見ると時期がばらばらです。
| 武将 | 没年 | 正一位の追贈 |
|---|---|---|
| 徳川家康 | 1616年 | 1617年(死の翌年) |
| 毛利元就 | 1571年 | 1908年(明治41年) |
| 豊臣秀吉 | 1598年 | 1915年(大正4年) |
| 織田信長 | 1582年 | 1917年(大正6年) |
織田信長が正一位になったのは、本能寺の変から335年後です。毛利元就は337年後。明治維新後の顕彰の一環として贈られたもので、戦国時代の序列とは何の関係もありません。
つまりこのランキングの1位は、戦国時代の話ではなく、近代日本が誰を英雄として選んだかの話でした。
生前の位で見るなら、豊臣秀吉の従一位関白、徳川家康の従一位太政大臣あたりが実質の最高位ということになります。
5.そして、4分の3は順位がつかない
もっと大きな問題があります。ここまで扱ってきたのは、位階が読み取れた776人だけでした。
官位の記載がある2,993人のうち、残りの2,217人はどうなっているのでしょうか。
官位欄がある人の74%は、位階を持たず「○○守」しか名乗っていませんでした。
| 受領名 | 名乗った人数 |
|---|---|
| 信濃守 | 58人 |
| 伊豆守 | 50人 |
| 大和守 | 48人 |
| 越前守 | 47人 |
| 備前守 | 46人 |
| 下野守 | 45人 |
| 美作守 | 44人 |
| 但馬守 | 44人 |
ここで、順位づけが行き詰まります。
伊豆守と大和守は、どちらが上なのでしょうか。
答えは「決まっていない」です。受領名は国の名前を冠した官職名で、位階のような等級ではありません。国に格付けはありますが、名乗った人の身分を表すものではないので、比較のしようがないのです。
つまり官位ランキングは、対象の4分の3について作れません。
6.その受領名は、朝廷が与えたものか
受領名を数えていて、もうひとつ気になることがありました。
信濃守が58人います。伊豆守が50人、大和守が48人。
信濃という国は1つしかありません。同じ時期に58人の信濃守がいたわけではないにせよ、これだけの人数が名乗っているのは、正式な任官だけでは説明がつきません。
戦国期の受領名の多くは、朝廷の任命を経ない自称でした。実力者が勝手に名乗り、周囲もそれを認めます。集計すると129種類の「○○守」が出てきましたが、そのうち令制国の名前だったのは67種類だけです。
残りは実在しない国を冠した、事実上の飾りということになります。
7.🔍 ちなみに、どうやって調べた?
ここからは、今回の集計方法について少し詳しく説明します。
分析方法をくわしく見る
使用したデータ
Wikipedia 日本語版の「Category:戦国武将」と、そのサブカテゴリ「Category:戦国大名」に含まれるページから、基礎情報テンプレート({{基礎情報 武士}})の官位欄を取得しました。2026年8月時点のデータです。
| 区分 | 件数 |
|---|---|
| 名寄せ後の全ページ | 5,553 |
| 官位の記載があるページ | 2,993 |
| 位階が読み取れたページ | 776 |
| 受領名などのみのページ | 2,217 |
位階の取り出し方
官位欄は「紀伊守、従五位下侍従」のような自由記述なので、正一位から従六位下までの語をあらかじめ序列順に並べ、上から順に照合しました。複数が書かれている場合は、最も高いものを採用しています。
IKAI = ["正一位", "従一位", "正二位", "従二位", "正三位", "従三位",
"正四位上", "正四位下", "従四位上", "従四位下", ...]
def ikai_of(text):
for k in IKAI: # 上から順に見るので、最も高い位が返る
if k in text:
return k
return None受領名は「○○守」の形を正規表現で拾い、令制国68か国の一覧と照合しました。
分析上の注意点
- 官位欄には、生前に与えられた位と死後の贈位が区別なく書かれている。本文で触れた正一位のように、時期が数百年離れているものも混ざる
- 受領名には序列がないため、位階を持つ776人と同じ土俵で比較できない
- 同じ受領名を名乗った人数は、同時期に何人いたかを示すものではない。150年ほどの期間を通した延べ人数である
- 自称か正式な任官かは、この欄からは区別できない
- 官位の記載がない2,560人は集計から除いている
8.まとめ
- 位階が判明した776人の頂点は正一位の5人(信長・秀吉・家康・秀忠・元就)
- ただし正一位は全員が死後の贈位で、信長は1917年、元就は1908年の追贈
- 最も多いのは従五位下で522人。位階が分かる人の67%を占める
- 官位欄がある人の74%は位階を持たず、序列のない受領名だけを名乗っていた
- 「○○守」は129種類あったが、令制国の名前だったのは67種類だけ
9.次に調べたいこと
- 官位が高い武将ほど、長生きしているのか
- 仕えた家によって、到達できる官位に差があったのか
- 受領名は、その武将の領地と関係があるのか
- 生前の官位だけで数え直すと、順位はどう変わるのか
- 官位を得た年齢に、傾向はあるのか
官位ランキングを作ろうとしたら、順位がついたのは全体の1割強でした。
5,553人のうち、序列のある位階を持っていたのは776人。しかもその頂点は、明治や大正になってから贈られたものでした。厳密な等級があるはずの官位が、戦国時代にはずいぶん緩く扱われていたことになります。
戦国時代の平均寿命は何歳?最も長生きした武将を2,730人分のデータで調べた同じデータの生没年から、武将の寿命を集計した記事です。datasanpo.com
よくある質問
- 最も官位が高かった戦国武将は誰ですか?
- 最高位の正一位に到達したのは、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・徳川秀忠・毛利元就の5人です。ただし全員が死後に贈られたもので、織田信長は1917年、毛利元就は1908年と、近代に入ってからの追贈でした。
- 戦国武将の官位で最も多かったのは何ですか?
- 従五位下です。位階が判明した776人のうち522人(67%)を占めます。大名として認められる標準的な位で、ここから上に進めた武将はごく少数でした。
- 「○○守」は官位ですか?
- 受領名と呼ばれる官職名ですが、位階のような序列がありません。伊豆守と大和守のどちらが上か、という比較はできません。集計した5,553人のうち2,217人が、位階を持たず受領名だけを名乗っていました。

