戦国時代の平均寿命は何歳?最も長生きした武将を2,730人分のデータで調べた
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この記事で分かること
- 戦国時代の武士の平均寿命は何歳だったのか
- 最も長生きした戦国武将は誰か
- 「平均寿命30歳」という数字と、何が違うのか

1.戦国時代の武士の平均寿命は、何歳だったのか
織田信長は49歳で本能寺に倒れました。上杉謙信も49歳、武田信玄は53歳です。
戦国時代というと、こういう数字が思い浮かびます。戦が絶えず、医療も未発達で、みんな若くして死んでいった時代。
本当にそうだったのでしょうか。
戦国武将は何歳まで生きたのでしょうか。そして、最も長生きしたのは誰なのでしょうか。
Wikipedia には、戦国時代の武将のページが5,000本以上あります。その多くに生没年が書かれているので、集めて計算してみることにしました。
2.2,730人分の生没年を集める
使うのは Wikipedia の「Category:戦国武将」と、そのサブカテゴリの「Category:戦国大名」です。各ページの基礎情報欄には「生誕」と「死没」の項目があります。
Category:戦国武将 - Wikipedia戦国時代の武将を集めたカテゴリ。各記事には生没年・氏族・主君などをまとめた基礎情報の欄があります。ja.wikipedia.orgja.wikipedia.orgここには「天文3年5月12日(1534年6月23日)」のように、和暦と西暦が並べて書かれています。括弧の中の西暦だけを取り出して引き算すれば、寿命が出せます。
2つのカテゴリを合わせ、両方に載っている52人を名寄せすると5,553人になりました。ただし生誕と死没の両方に西暦が入っているのは、そのうち2,730人です。半分弱しかありません。
3.戦国武将2,730人の平均寿命は57.0歳
先に予想してみてください。2,730人の平均寿命は、何歳くらいだと思いますか。
結果はこうなりました。
平均57.0歳、中央値59歳。
思ったより長い、と感じた方が多いのではないでしょうか。分布を見てみます。
※ 記事内で説明した集計をもとに作成した図です。
山の頂上は60代の503人で、70代の493人がすぐ後ろに続きます。70歳以上まで生きた人が819人、全体の30.0%を占めます。80歳以上も326人(11.9%)いました。
一方で、30歳になる前に死んだ人も302人(11.1%)います。長生きした人と早く死んだ人の両方に、それなりの厚みがあります。
この形が長いのか短いのか、それだけでは分かりません。現代と並べてみます。
比べる相手は、厚生労働省の令和6年簡易生命表です。いまの死亡率が続いたとして、日本人男性が何歳で亡くなるかの分布が読み取れます。人数の桁が違うので、どちらも割合にしました。
戦国武将
2,730人
現代の日本人男性
令和6年簡易生命表
※ 記事内で説明した集計をもとに作成した図です。並べたグラフで目盛りを揃えています。
山の位置が、まるごと20年ぶんずれています。戦国武将は60代が頂点で、現代は80代です。
差が最も大きいのは右端でした。現代は90歳以上で亡くなる人が29.8%、およそ3人に1人です。戦国武将では2.4%しかいません。
左端も対照的です。40歳より前に亡くなった人は、戦国武将では20.5%。現代は1.5%です。
つまり57.0歳という平均は、現代と比べればやはり短いといえます。それでも「30代、40代で死ぬのが当たり前」というほどではありませんでした。
4.「戦国時代の平均寿命は30歳」との違い
ここで、多くの方が引っかかるはずの点を先に片づけます。戦国時代の平均寿命を調べると、たいてい「30〜40歳」という数字が出てきます。今回の57.0歳とは、ずいぶん違います。
どちらかが間違っているわけではありません。数えている対象が違います。
| 一般に言われる平均寿命 | この記事の57.0歳 | |
|---|---|---|
| 数える対象 | 生まれたすべての赤ん坊 | 記録に名を残した武士 |
| 赤ん坊・子どもの死 | 含む | ほぼ含まない |
| 正確な呼び方 | 0歳児の平均余命 | 成人後に亡くなった年齢の平均 |
統計でいう「平均寿命」とは、生まれたばかりの赤ん坊があと何年生きられるかの期待値、つまり0歳児の平均余命です。乳幼児のうちに亡くなる人が多い時代では、この数字は大きく下がります。10人生まれて5人が5歳までに亡くなり、残る5人が60歳まで生きたとすれば、平均寿命は32.5歳です。60歳まで生きた人がいても、平均は30歳台になります。
「平均寿命30歳」は、当時の人が30歳で死んでいたという意味ではありません。
一方、今回集めたのはWikipediaに記事のある武将です。名前が記録に残った時点で、その人は成人まで生きています。赤ん坊のうちに亡くなった人は、そもそもデータに入ってきません。
つまり57.0歳という数字は、「戦国時代の平均寿命」ではなく「成人まで生き、名前が記録に残った武士が、何歳まで生きたか」の平均です。この2つを混ぜて比べると、話がおかしくなります。
5.この平均には、からくりがある
平均57.0歳という数字を、そのまま「戦国時代の武士は長生きだった」と読むのは危険です。
亡くなった年で2つに分けてみます。区切りは大坂夏の陣(1615年)、戦国の戦乱が終わったとされる年です。
| 死没した時期 | 人数 | 平均寿命 | 30歳未満の割合 |
|---|---|---|---|
| 1615年まで(戦乱期) | 1,957人 | 51.8歳 | 15.3% |
| 1616年以降(江戸時代) | 773人 | 70.0歳 | 0.4% |
18年以上の差がつきました。戦乱の最中に死んだ人は平均51.8歳。生き延びて江戸時代まで到達した人は平均70.0歳です。
分布を並べると、形の違いがはっきりします。人数が違うので、割合にして比べます。
1615年まで(戦乱期)
1,957人
1616年以降(江戸時代)
773人
※ 記事内で説明した集計をもとに作成した図です。並べたグラフで目盛りを揃えています。
左は50代を頂点にした、なだらかな山です。右は70代に大きく寄っていて、40代より若い部分がほとんど消えています。
そして30歳未満の割合が、15.3%から0.4%へ激減しています。若くして死ぬ最大の要因が戦だったことが、はっきり出ています。
つまり平均57.0歳は、「戦を生き延びた人が多く含まれている」から高いのです。
そもそもWikipediaに記事があるのは、名前が記録に残った人だけです。生没年がきちんと分かるのは、家が続いて系図が残ったからでもあります。早くに討ち死にして家が絶えた人は、そもそもこのデータに入ってきません。
この数字は「戦国武将の平均寿命」ではなく、「記録に名を残した武将の寿命」だと思ってください。
6.では、最も長生きしたのは誰か
いよいよ本題です。生没年に諸説がある人を除いた2,410人から、上位を並べます。
| 寿命 | 武将 | 生没年 |
|---|---|---|
| 110歳 | 多功建昌 | 1463-1572 |
| 106歳 | 木幡高清 | 1537-1642 |
| 99歳 | 梨羽景宗 | 1577-1675 |
| 97歳 | 大島光義、富永重吉、三好為三 | - |
| 96歳 | 生駒利豊、棚守房顕、多羅尾光俊 ほか6人 | - |
見覚えのある武将は一人もいませんでした。以下、上位の人たちを順に見ていきます。
110歳:多功建昌
下野国の宇都宮氏に仕えた武将で、多功城の城主です。1463年に生まれ、1572年に没したとされています。
1551年に米寿(88歳)の祝いを催し、その翌年には寺を建立したと伝わります。88歳で寺を建てて、そこからさらに20年生きた計算です。
Wikipedia にも「寿命が現代でも稀な110歳であり、相当長生きな人物であった」と書かれています。ただし戦国期の110歳は、記録そのものを疑ってかかるべき数字でもあります。ここは伝承として受け取っておきます。
106歳:木幡高清
陸奥の相馬氏に仕えた武将です。こちらは記録がかなり具体的です。
相馬顕胤から数えて5代の当主に仕えました。
主君が5回替わるまで現役だった、ということです。故事に詳しく、藩の史書の編纂も手がけています。おそらく晩年は「生き字引」として重宝されたのでしょう。
さらに息子の清吉も5代の当主に仕え、96歳まで生きています。親子2代で長寿という、珍しい家です。
99歳:梨羽景宗
小早川隆景に仕え、隆景の死後は毛利輝元に仕えた武将です。文禄の役では朝鮮へ渡っています。
この人の長寿には、はっきりした副産物があります。90歳を目前にした1666年ごろ、かつて仕えた隆景について問われるままに書き残した覚書『梨羽紹幽物語』です。
文禄の役における小早川軍の動きを知ることができる唯一の史料として、いまも重要な位置を占めています。長生きしたから証言が残った、という例です。
97歳:大島光義

上位のなかで、最も経歴が派手なのがこの人です。弓の名手で、大島雲八の名で知られます。
父を戦で失い、13歳で初めて敵を弓で仕留めました。斎藤氏の家臣を経て織田信長に召し出され、弓足軽頭となります。坂本の戦いでの働きを信長に「白雲をうがつような働き」と称えられ、その命で通称を雲八と改めました。
驚くのはここからです。
93歳で関ヶ原の戦いに従軍しています。
しかも息子2人は西軍に付いていました。光義自身は東軍で武功を挙げ、その働きで息子たちの罪も許されています。戦後は1万8,000石に加増され、美濃関藩の初代藩主となりました。
生涯で53度の合戦に臨み、41通の感状を得たと伝わります。90歳を過ぎてから大名になった武将は、そう多くないはずです。
97歳:三好為三
三好政長の子です。はじめは反信長の側に立って戦い、のちに信長へ降伏しました。
その後は秀吉、家康と仕える相手を替え、関ヶ原では東軍として上田城攻めに加わっています。最後は徳川秀忠の御咄衆、つまり将軍の話し相手を務めました。
戦って、降伏して、天下人が3度替わっても現役でいた人です。長寿そのものが処世術だったようにも見えます。
97歳:富永重吉
北条氏の家臣です。小田原征伐で城が落ちたあと、いったん高野山へ上りました。
しかし1592年に徳川家康に召し出されて復帰します。関ヶ原、大坂の陣にも従軍し、のちに普請奉行などを歴任しました。
剣術に長けていたことから、徳川家光の教授役も務めています。主家が滅んだあとに、もうひとつのキャリアを築いた人でした。
7.有名な武将は、何歳まで生きたのか
上位に並ぶのは、ほとんど名前を知らない武将ばかりでした。では、誰もが知る武将たちはどうだったのでしょうか。同じ方法で計算した結果がこちらです。
※ 記事内で説明した集計をもとに作成した図です。
全体の平均が57.0歳ですから、織田信長の49歳、上杉謙信の49歳、武田信玄の53歳は、いずれも平均より短命です。天下を取った徳川家康の74歳と、中国地方を制した毛利元就の75歳が長寿の部類に入ります。
最も長かったのは、関ヶ原の退き口で知られる島津義弘の85歳でした。それでも、先ほどの上位15人(96歳以上)には遠く及びません。
8.大名だけで並べると、どうなるか
上位15人は、全員が大名に仕えた側の武将でした。では、国を治めた大名の側で並べるとどうなるでしょうか。
| 順位 | 寿命 | 大名 | 生没年 | 全体順位 |
|---|---|---|---|---|
| 1位 | 93歳 | 龍造寺家兼 | 1454-1546 | 28位 |
| 2位 | 90歳 | 松平長親 | 1455-1544 | 57位 |
| 3位 | 89歳 | 宗晴康 | 1475-1563 | 63位 |
| 3位 | 89歳 | 蠣崎季広 | 1507-1595 | 73位 |
| 5位 | 88歳 | 相馬義胤 | 1548-1635 | 85位 |
| 6位 | 86歳 | 小峰義親 | 1541-1626 | 117位 |
| 7位 | 85歳 | 島津義弘 | 1535-1619 | 128位 |
最も長生きした大名でも、全体では28位です。その上にいる27人は、すべて家臣の側でした。
数字全体でも、同じ傾向が出ています。
| 区分 | 人数 | 平均寿命 | 80歳以上 | 30歳未満 |
|---|---|---|---|---|
| 大名 | 324人 | 51.8歳 | 6.8% | 13.6% |
| 家臣(大名以外) | 2,406人 | 57.6歳 | 12.6% | 10.7% |
大名のほうが6年ほど短く、80歳以上まで生きた割合は半分ほどしかありません。
考えてみれば当然かもしれません。大名は自ら軍を率いて前線に立ち、負ければ切腹し、勝っても暗殺や政争の的になります。上に立つほど死にやすかった、と読めます。
93歳:龍造寺家兼
大名で1位となった家兼の晩年は、上位陣のなかでも群を抜いて激しいものでした。
肥前の国人から身を起こし、主家である少弐氏の筆頭家臣にまで上り詰めます。ところが90歳を超えたころ、謀反を疑われて2人の息子と4人の孫をことごとく誅殺されました。
本人は高齢を理由に厳しい追及を受けず、筑後へ逃れて蒲池氏の保護を受けます。そして翌年、老いた体を押して挙兵しました。
90代で兵を挙げ、一族を滅ぼした相手を討ち、龍造寺家を再興しています。
後事を曾孫の胤信、のちの龍造寺隆信に託すと、間もなく世を去りました。隆信はこのあと、龍造寺家の最盛期を築きます。
90歳:松平長親
2位の長親には、名前だけでは気づきにくい縁があります。徳川家康の高祖父、つまり4代前の先祖にあたります。
家康は74歳。当時としては十分に長命ですが、それでも高祖父には16年およびません。
9.🔍 ちなみに、どうやって調べた?
ここからは、今回の集計方法について少し詳しく説明します。
「和暦と西暦が混ざった記述から、どうやって年齢を出したの?」と気になった方はぜひどうぞ。
分析方法をくわしく見る
使用したデータ
Wikipedia 日本語版の「Category:戦国武将」と、そのサブカテゴリ「Category:戦国大名」に含まれるページから、基礎情報テンプレート({{基礎情報 武士}})の内容を取得しました。2026年8月時点のデータです。
カテゴリは排他的ではなく、両方に直接ぶら下がっている記事が52件ありました。二重に数えないよう、記事名で名寄せしています。
| 区分 | 件数 |
|---|---|
| Category:戦国武将から取得 | 5,206 |
| Category:戦国大名から取得 | 399 |
| 名寄せ後(重複52件を統合) | 5,553 |
| 生誕・死没の両方から西暦が取れたページ | 2,730 |
| うち生没年に諸説がないページ | 2,410 |
記事内で「大名」と呼んでいるのは、Category:戦国大名に載っている324人(寿命が算出できた人)です。両方のカテゴリに載っている人は、大名として数えています。
年の取り出し方
生誕欄は「天文3年5月12日(1534年6月23日)」のような書き方です。ここから和暦の「3年」を拾ってしまわないよう、4桁の数字だけを対象にしています。
また、括弧の中に西暦が書かれることが多いため、括弧内を優先して探します。取れた年が1400年から1700年の範囲を外れる場合は、誤りとみなして採用しません。
def extract_year(text):
if not text or re.search(r"不明|不詳", text):
return None
# 括弧の中に西暦が書かれていることが多いので、そちらを優先する
for m in re.finditer(r"[((]([^))]*)[))]", text):
years = re.findall(r"(\d{4})\s*年", m.group(1))
if years and MIN_YEAR <= int(years[0]) <= MAX_YEAR:
return int(years[0])
...寿命は「死没年 − 生誕年 + 1」で求めました。生まれた年を1歳と数える、当時の数え年に合わせています。
諸説がある行の扱い
生没年に「または」「一説に」などが含まれる行には印を付け、ランキングからは除外しました。北条早雲の生年に1432年と1456年の2説があるように、どちらを取るかで20歳以上変わってしまうためです。
この印が付いた320人を除くと、2,410人が残ります。なお除外した中には、108歳の大久保忠成や101歳の上条政繁など、上位に入りうる人も含まれます。
分析上の注意点
今回の数字は、Wikipediaの記載をもとにした集計です。次の点にご注意ください。
- 生没年が分かるのは全体の49%で、記録が残った人に偏っている
- 西暦の年だけで引くため、和暦の年末生まれは1歳少なく出ることがある
- 戦乱期に死んだ人と江戸時代まで生きた人が混ざっており、平均は両者の合成である
- 100歳を超えるような記録は、伝承の可能性がある
- 当時の武士全体の平均寿命ではなく、記録に名を残した武将の寿命である
- 現代との比較に使った生命表は、いまの死亡率が続いた場合を表す仮想の集団である
10.まとめ
- 記録の残る戦国武将2,730人の平均寿命は57.0歳、中央値は59歳
- これは0歳児から数える一般的な「平均寿命」とは別物で、成人後の武士に限った数字
- 1615年までに死んだ人は平均51.8歳、江戸時代まで生きた人は平均70.0歳
- 最も長生きしたのは多功建昌の110歳。ただし記録の確かさには幅がある
- 上位15人は全員が家臣の側。大名の1位は龍造寺家兼の93歳で、全体では28位
11.次に調べたいこと
今回の集計から、さらに気になる疑問が出てきました。
- 戦で死んだ人と、病や老衰で死んだ人を分けられるか
- 同じ家に仕えた人どうしで、寿命に差はあるのか
- 生年が早い武将ほど、短命になっているのか
- 長寿の武将は、どの地域に多いのか
- 官位を得た武将は、長生きしているのか
「戦国=短命」という印象は、半分正しくて半分間違いでした。
戦の続く間は確かに人が早く死にます。けれど、そこを抜けた人は驚くほど長く生きました。93歳で戦場に立った大島光義や、90代で挙兵した龍造寺家兼は、その象徴のような人だと思います。
転職回数が最も多い戦国武将は?同じ Wikipedia のデータを使った記事。戦国武将が仕えた家の数を数えました。datasanpo.comよくある質問
- 戦国時代の武士の平均寿命は何歳ですか?
- Wikipediaに記録の残る戦国武将2,730人の生没年から計算すると、平均57.0歳、中央値59歳でした。ただしこれは成人まで生き、名前が記録に残った武士に限った数字です。
- 「戦国時代の平均寿命は30〜40歳」と聞きますが、なぜ違うのですか?
- 統計でいう平均寿命は0歳児の平均余命で、乳幼児のうちに亡くなった人も含めて計算します。そのため数字が大きく下がります。この記事の57.0歳は、成人後に亡くなった年齢の平均であり、別の指標です。「平均寿命30歳」は当時の人が30歳で死んでいたという意味ではありません。
- 最も長生きした戦国武将は誰ですか?
- 生没年に諸説のない範囲では、下野の宇都宮氏に仕えた多功建昌の110歳(1463年〜1572年)が最長です。次いで相馬氏の家臣・木幡高清が106歳、毛利氏の梨羽景宗が99歳でした。
- 織田信長や徳川家康は何歳まで生きましたか?
- 同じ方法で計算すると、織田信長と上杉謙信が49歳、武田信玄が53歳、豊臣秀吉が62歳、徳川家康が74歳、毛利元就が75歳、島津義弘が85歳でした。信長・謙信・信玄はいずれも全体平均の57.0歳を下回ります。
- 戦国時代は本当に短命だったのですか?
- 戦乱の続いた1615年までに亡くなった人は平均51.8歳、30歳未満で亡くなった割合は15.3%でした。一方、江戸時代に入った1616年以降に亡くなった人は平均70.0歳、30歳未満は0.4%です。戦を生き延びられるかどうかが、寿命を大きく分けていました。

