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歴史・戦国

転職回数が最も多い戦国武将は?

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この記事で分かること

  • 戦国武将は生涯で何回くらい主君を変えたのか
  • 最も多く主君を変えた武将は誰か
  • 「主君が代わる」と「主君を変える」をどう区別するか

1.戦国武将は、何回くらい転職したのか

転職が当たり前になりました。ひとつの会社に勤め上げる人のほうが、いまや少数派かもしれません。

では、戦国時代はどうだったのでしょうか。

「忠臣は二君に仕えず」という言葉があります。一方で、藤堂高虎のように主君を次々と変えたことで知られる武将もいます。

実際のところ、どちらが普通だったのでしょう。

戦国武将は生涯で何回くらい主君を変えていたのでしょうか。そして、最も多く変えたのは誰なのでしょうか。

Wikipedia に載っている戦国武将の情報から、数えてみることにしました。

2.4,599人分のデータを集める

使うのは Wikipedia の「Category:戦国武将」です。各ページの右上には、生没年や氏族をまとめた基礎情報の欄があります。

Category:戦国武将 - Wikipedia戦国時代の武将を集めたカテゴリ。各記事には氏族・主君・生没年などをまとめた基礎情報の欄があります。ja.wikipedia.org

この欄には「主君」という項目があり、仕えた相手が順番に並んでいます。ここを数えれば転職回数が分かりそうです。

カテゴリ内の全6,355ページから基礎情報を取得したところ、5,206人分が集まりました。そのうち主君が記載されていたのは 4,599人です。

3.ところが、単純に数えると失敗する

主君の欄は、こんなふうに矢印でつながっています。

大友義統 → 豊臣秀吉 → 秀頼 → 徳川家康 → 秀忠 → 家光

矢印を数えれば転職回数が出そうです。この場合は5回。

しかし、よく見てください。

「豊臣秀吉 → 秀頼」も「徳川家康 → 秀忠 → 家光」も、当主が代替わりしただけです。

仕えている家は変わっていません。会社でいえば社長が交代しただけで、転職したわけではないのです。

そこで今回は、矢印の数ではなく「仕えた家がいくつあるか」を数えることにしました。同じ家が続いている間は、1回と数えます。

立花宗茂の場合
数え方回数内訳
矢印の数5回大友 → 豊臣 → 豊臣 → 徳川 → 徳川 → 徳川
仕えた家の数3家大友 → 豊臣 → 徳川

4.6割は、生涯ひとつの家に仕えていた

では、実際の分布を見てみましょう。ここで少し予想してみてください。

生涯ひとつの家だけに仕えた武将は、全体の何割くらいだと思いますか?

仕えた家の数の分布(4,599人)
1家2853人
2家1098人
3家402人
4家151人
5家53人
6家以上42人

※ 記事内で説明した集計をもとに作成した図です。

答えは62%。

6割以上が、生涯ひとつの家に仕えていました。2家までを含めれば86%に達します。

中央値は1家、平均は1.61家。転職が当たり前だったわけではなさそうです。

とはいえ、これは記録が残っている武将に限った話でもあります。仕える家を転々とした人は、そもそも記録に残りにくいという事情もあるかもしれません。

5.では、最も多かったのは誰か

いよいよ本題です。最も多く家を移った武将を見てみましょう。

仕えた家の数 上位(6家以上・全42人)
家の数人数武将
10家1人水野勝成
8家3人毛屋武久、真田信之、皆川広照
7家12人木曾義昌、本多政重 ほか10人
6家26人仙石秀久、山内一豊、藤堂高虎、高山右近 ほか22人

ここで、ひとつ気づくことがあります。

「転職の代名詞」といえる藤堂高虎が、1位ではありません。

主君を7度替えたと語られることの多い高虎ですが、家の数で見ると6家。同じ6家に25人が並び、その上には16人がいます。

名が知られているかどうかと、実際に移った回数は別物のようです。以下、名前の挙がった武将を順に見ていきます。

10家:水野勝成

水野勝成の肖像画
水野勝成(賢忠寺蔵)

水野忠重 → 仙石秀久 → 豊臣秀吉 → 佐々成政 → 黒田孝高 → 小西行長 → 加藤清正 → 立花宗茂 → 三村親成 → 徳川家康・秀忠・家光

徳川家康の従兄弟にあたる家柄に生まれながら、父・水野忠重と衝突して出奔します。以後は諸国を渡り歩きました。

九州の黒田・小西・加藤・立花と、名だたる家が並ぶのが目を引きます。父の死後に徳川家へ戻り、最後は備後福山藩の初代藩主となりました。

『名将言行録』では「倫魁不羈」、誰にも縛りつけられない人物と評されています。10家という数字は、その気質の表れなのかもしれません。

8家:毛屋武久

毛屋武久の肖像画
毛屋武久

和田惟政 → 山崎片家 → 織田信長 → 柴田勝家 → 前田利家 → 池田恒興 → 佐々成政 → 黒田長政

同じ家に戻ることなく、8つの家を順に移った珍しい例です。柴田・前田・池田・佐々と、織田家中の有力武将のもとを渡り歩いています。

最後は黒田家に落ち着き、その働きから黒田二十四騎の一人に数えられました。

8家:真田信之

真田信之の肖像画
真田信之

武田勝頼 → 織田信長 → 上杉景勝 → 北条氏直 → 徳川家康 → 上杉景勝 → 豊臣秀吉・秀頼 → 徳川家康・秀忠・家光・家綱

上杉と徳川に2度ずつ仕えており、行き来があります。本人が渡り歩いたというより、周囲の勢力図が目まぐるしく変わった結果という面が強そうです。

真田家は武田家の滅亡後、信濃・上野の境で大勢力に囲まれました。従う相手を替え続けたのは、家を存続させるための選択だったといえます。

結果として信之は上田藩、のちに松代藩の初代藩主となり、真田家を江戸時代へつなぎました。

8家:皆川広照

皆川広照の肖像画
皆川広照

宇都宮国綱 → 北条氏政・氏直 → 滝川一益 → 宇都宮国綱 → 北条氏直 → 徳川家康 → 松平忠輝 → 徳川秀忠・家光

下野の小勢力の当主です。宇都宮と北条を行き来しており、大勢力に挟まれた地域の武将が置かれた立場がよく表れています。

Wikipediaにも「処世術に優れ、小勢力ながらも時の権力者を渡り歩いた」と書かれています。最終的に譜代大名として江戸時代を生き残りました。

7家:木曾義昌

木曾義昌の肖像画
木曾義昌

木曾義康 → 武田信玄・勝頼 → 織田信長 → 北条氏直 → 徳川家康 → 豊臣秀吉 → 徳川家康

信濃木曾谷の領主で、武田信玄の娘を妻に迎えていました。しかし武田家の末期に織田方へ寝返り、これが武田滅亡の引き金のひとつとなります。

その後も本能寺の変、小田原征伐と、時勢が動くたびに従う相手が替わりました。山あいの小領主が生き延びるには、この身の振り方しかなかったのだろうと思わせます。

7家:本多政重

本多政重の肖像画
本多政重

徳川家康 → 大谷吉継 → 宇喜多秀家 → 福島正則 → 前田利長 → 上杉景勝 → 前田利長・利常・光高・綱紀

徳川家康の側近・本多正信の次男です。生まれからすれば徳川家で安泰のはずでしたが、家中で騒動を起こして出奔しました。

宇喜多、福島、上杉と外様の家を渡り歩き、最後は加賀前田家に落ち着きます。恵まれた出自を自ら手放した点で、ほかの武将とは事情が異なります。

6家:藤堂高虎

藤堂高虎の肖像画
藤堂高虎

浅井長政 → 阿閉貞征 → 磯野員昌 → 津田信澄 → 豊臣秀長・秀保・秀吉・秀頼 → 徳川家康・秀忠・家光

転職の代名詞として語られる武将です。ただし最初の4つは浅井家とその周辺で、いずれも主家の没落にともなう移動でした。

築城の名手として知られ、外様でありながら徳川家康の側近となります。「渡り歩いた」というより、移るたびに評価を上げていった人でした。

6家:仙石秀久

仙石秀久の肖像画
仙石秀久

斎藤龍興 → 織田信長 → 豊臣秀吉 → 徳川家康 → 豊臣秀吉・秀頼 → 徳川家康・秀忠

豊臣秀吉の最古参の家臣で、家臣団のなかで最も早く大名になった人物です。豊臣と徳川を行き来しているのは、天下人が移り変わったためです。

戸次川の戦いで大敗して改易されるものの、小田原征伐での働きで許されました。数字の裏に、転落と復帰があります。

6家:山内一豊

山内一豊の肖像画
山内一豊

浅井新八郎 → 前野長康 → 牧村政倫 → 山岡景隆 → 豊臣秀吉・秀次・秀吉 → 徳川家康

父が織田家中の争いで討たれ、若くして家を失いました。前半の4家は、身を寄せる先を探しての移動です。

豊臣秀吉に仕えて頭角を現し、関ヶ原では小山評定でいち早く徳川方に付きました。その功で土佐一国を与えられます。

6家:高山右近

高山右近の肖像画
高山右近

松永久秀 → 和田惟政 → 荒木村重 → 織田信長 → 豊臣秀吉 → 前田利家・利長

代表的なキリシタン大名です。荒木村重の謀反に際して織田方に付いた場面が知られています。

最後の移動は事情が違います。秀吉の禁教令で信仰を捨てることを拒み、大名の地位を失いました。以後は前田家に庇護される身となります。

6家のうち最後の1回だけが、出世でも生存でもなく信仰による移動でした。

6.同じ「多い」でも、事情は違う

10人を並べてみると、数字が同じでも中身がずいぶん違うことに気づきます。

移った理由の型
型あてはまる武将移った事情
自ら動いた水野勝成、本多政重家を出奔し、諸国を渡り歩いた
主家が倒れた藤堂高虎、山内一豊仕える家が滅び、次の先を探した
勢力に挟まれた真田信之、皆川広照、木曾義昌境目の領主として従う相手を替えた
天下人が代わった仙石秀久豊臣から徳川へ、時勢とともに移った
信仰を選んだ高山右近禁教令で地位を捨てた

自ら渡り歩いた人と、移らざるを得なかった人が、同じ数字のなかに混ざっています。

真田信之や皆川広照のように同じ家へ戻っている人は、後者の色が濃く出ます。逆に水野勝成や毛屋武久のように重複がない人は、自分の意思で動いた度合いが大きいと読めます。

数字だけでは、この2つを区別できません。ここから先は、一人ひとりの事情を読むしかなさそうです。

7.🔍 ちなみに、どうやって調べた?

ここからは、今回の集計方法について少し詳しく説明します。

「どうやって4,599人分を数えたの?」と気になった方はぜひどうぞ。

分析方法をくわしく見る

使用したデータ

Wikipedia 日本語版の「Category:戦国武将」に含まれるページから、基礎情報テンプレート({{基礎情報 武士}})の内容を取得しました。2026年8月時点のデータです。

区分件数
カテゴリ内の全ページ6,355
基礎情報を取得できたページ5,206
うち主君の記載があるページ4,599

取得にはHTMLではなくMediaWiki APIを使っています。ページの見た目が変わっても影響を受けず、取得も安定するためです。

分析の流れ

  1. 1カテゴリに含まれる全ページの一覧を取得する。
  2. 2各ページの本文から基礎情報テンプレートを抜き出し、項目名と値の組にする。
  3. 3主君の欄を矢印で区切り、仕えた順の名前の並びにする。
  4. 4それぞれの名前から「家」を判定する。
  5. 5同じ家が連続している部分をまとめ、家の数を数える。

「家」をどう判定したか

ここが一番の難所でした。後継者は「徳川家康 → 秀忠」のように、名字なしで書かれることが多いためです。

そこで2つの処理を入れました。

  • 名字が付いていない名前は、直前と同じ家として扱う(秀忠・家光など)
  • 名字を切り出すため、各ページの氏族欄から家名の一覧を作り、最長一致させる

氏族欄から2,356種類の家名が得られました。これを使うと「長宗我部元親」を「長宗」ではなく「長宗我部」で切れます。語彙にない主君は先頭2文字を名字とみなし、44種類を補いました。

なお、名字の後に名前が2文字以上残ることを条件にしています。これがないと「家光」の「家」を名字と誤って判定してしまいます。

使用したコード

取得と集計はPythonで行いました。中心となるのは、名前から家を判定する部分です。

def house_of(name, vocab, previous):
    # 長い家名を優先する(長宗我部 が 長宗 に負けないように)。
    # 名字の後に名前が2文字以上残ることを条件にする
    for length in range(min(5, len(name) - 2), 0, -1):
        if name[:length] in vocab:
            return name[:length]
    if len(name) >= 4:
        return name[:2]
    return previous or name   # 名字なし=当主が代わっただけ

分析上の注意点

今回の数字は、Wikipediaの記載をもとにした集計です。次の点にご注意ください。

  • 主君欄の書き方は記事ごとに異なり、統一された形式ではない
  • 同じ家に戻った場合は、連続していなければ別々に数えている(真田信之の徳川など)
  • 主君の記載がない607人は集計から除いている
  • 記録が残っている武将に限った分析であり、当時の武士全体の傾向とは限らない
  • 家の判定は自動処理のため、まれに誤りが含まれる可能性がある

8.まとめ

  • 戦国武将4,599人のうち、62%は生涯ひとつの家にのみ仕えていた
  • 仕えた家の数は平均1.61家、中央値は1家
  • 最も多かったのは水野勝成で10家。2位に2家差をつけた単独首位

9.次に調べたいこと

今回の集計から、さらに気になる疑問が出てきました。

  • 転職回数が多い武将ほど、長生きしているのか
  • 出身地によって、仕えた家の数に違いはあるのか
  • 最後に仕えた家は、徳川に集中しているのか
  • 主家が滅んで移った人と、自ら移った人を分けられるか
  • 官位を得た武将は、転職が少ないのか

「戦国武将は主君をころころ変えた」という印象は、少なくとも数字の上では正しくありませんでした。

むしろ多くは、ひとつの家に仕え続けています。だからこそ、10家を渡り歩いた水野勝成が際立つのだと思います。

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